本の概要-能力は天性のものではない、後天的に培われるもの

今回は、

「超一流になるのは才能か努力か?」を読んで

こちらで書いた内容を具体的に掘り下げていければと思います。
今回は所謂「天才」というのは存在するのか否かというテーマで書かせて頂ければと。

 

前回の記事で、とある音ゲーを教えていた子(M君)がいたという話をしたのですが、
そのM君を教える過程や、某音ゲーをやる他の人達を見ていく過程で、

『もしかしていわゆる天才っていないんじゃないか?』

って思い始めました。

その根拠もあります。

①「異常」に某音ゲーが上手い人達は何かしらの経験者だった
今まで、某音ゲーが「異常」に上手かったり、成長スピードが「異常」な人がいたんですが、
そういう「異常」な人達は「例外なく」、

ピアノ経験者もしくは他機種音ゲーの熟練者(つまり他の分野で濃い経験がある人達

だった、ということです。

②某音楽ゲームのNo1プレイヤーに関して
音ゲーの現在のNo1プレイヤーはもう最近の大会でずっと優勝を続ける名プレイヤーです。
でもその方は、昔は1番ではなかったらしいです。全国大会で決勝までいけずに、敗れたりしていたそうです。

その方がいわゆる「天才」であるなら、昔からずーっと1位でもおかしくないはずですが、そういう訳ではありませんでした。
でも、その方はある時期からはずっと1位を取り続けています
この事実からその方の実力は「地道に練習を重ねて得た実力」なのではと考えるようになりました。

③M君の成長過程
「天才」っていうものはいないんじゃないかと感じたのは、このことが一番大きいかもしれません。
私が彼を教えていたのは去年の3月末からちょうど1年間位だったんですが、成長ペースはえげつないものでした。

私がそのゲームを始めて8年位でようやく到達したレベルに、彼は1年で到達しました。
そんな成長ペースの彼を見て、周囲の人は彼を「天才」と称しました。確かに成長ペースから見てそう判断するのは無理ないかと思います。


でも、私から見た彼は、決して「天才」ではありませんでした。
「異常な努力家」でした。

もっと具体的にいうと、

効率的な練習方法(私が原形をつくった上達法に、彼を教える過程で2人で更に改良していった上達方法)で練習をした
・M君の上達が詰まった時の、原因分析の徹底と、改善案出しの徹底、そして何よりその改善案に彼が徹底して取り組んでくれたこと
・彼の異常な練習量(単純にその音ゲープレイするというだけでなく、譜面研究をしたり、必要に応じては本を買ったり等、実際にゲームをするというところ以外での努力も半端なかった

これらの積み重ねの結果でした。上達したのにはしっかりとした裏付けがありました。
そんな彼の努力と成長過程を見てきて、

「いわゆる天才と呼ばれる人達は、天賦の才に恵まれた訳ではなく、それまでに相当な努力をして、その結果その実力を得たんじゃないか」

という思いを強くしました。

④常人離れをした結果を残した日本のトッププレイヤー達

ここ最近、常人離れした結果を残してきたアスリートの方々がいました。


・若干15歳で羽生さんに勝ってしまった将棋の藤井聡太さん
・平昌五輪のフィギュアスケート男子で金メダルを獲った羽生結弦さん、そして次いで銀メダルに輝いた宇野昌磨さん

彼らに共通するのは、小さい頃から相当な練習を積んできていたことです。
調べれば調べる程、彼らが今までに普通じゃ考えられない努力を積んできたことが分かります。


これらの事例を見てきて私は、

『天才というものは存在しないんじゃないか』
『最初から異常な成長スピードを見せる人は、元々何かしら別のことで経験があっただけではないだろうか、成長速度の差は単純にそれまでの経験値の差ではないだろうか』
『正しい方向で努力を地道に積めば、誰でもスキルを上げることは可能なんじゃないだろうか』

と考えるようになりました。
そして、そんな中で当書と出会い、私の中での考えは確信に変わりました。

当書の中でも「天才」はいないことの根拠やデータがいくつも書かれていて、その中でも一番印象的なものをこちらに書かせて頂ければと思います。

ベルリン芸術大学の音楽専攻バイオリン科の学生を対象に、今までのバイオリンにかけた練習時間を調査したものがありました。
学生のバイオンリンの実力でSランク、Aランク、Bランクの3つに分類されていました。Sランクの学生は、将来スーパースターになるような存在で、他の学生を圧倒する実力者揃いとのことです。Aランクの学生はSランクの学生程では無いが非常に優秀な学生をピックアップした人達、Bランクの学生はバイオリンのソリストのプログラムの受験では落ちてしまい教員コースに入った学生(とは言ってもふつうの人よりは技術は優れている)で構成されていて、
これらの3ランクの学生を対象に、
18歳になるまでに費やしたバイオリンの練習時間を調査しました。

その結果平均練習時間は、

Sランク7410時間
Aランク5301時間
Bランク3420時間

となり、ランクと練習時間が見事に比例していました。
ここで面白かったのが、他の学生より極端に練習時間が短い人で高ランクの人が1人も存在しなかったとのことです。

バイオリンは上達方法が既に確立されていて、
こういう練習をこれ位やれば良いというのが明確化されているみたいです。効率的な練習方法の基盤がもう作られている状態なので、上達法の工夫とかでは差がでないものとして考えて良いでしょう。
よく、量×質という話がありますが、
練習方法が確立されていると質の部分で人によって差が出ないので、このバイオリンの調査結果はシンプルに量の差がS、A、Bクラスに反映されているといえるでしょう。

でも、いわゆる「天才」が存在するなら、そんな中で少ない練習量で高ランクのレベルに達してしまうはずです。でも、この調査結果ではそのような「天才」が1人もいなかったことが示されています。

当書では他にも一見「天才」と見られるような人達の事例をピックアップして、
練習時間みたいな数字等の「データ、根拠」をしっかり見せることで、「天才」の存在を否定しています。

そして私も、「天才」っていう人は存在しないんだ、
一見「天才」に見える人は、影で凄い練習をしていたり、練習方法を工夫していたり、元々他のジャンルで経験がある人なんだなーと思いました。

・・・それでは、「天才不在」の中で、自分のやりたいことをどう上達させていけば良いのか。どんな風に練習してライバルと差をつけていけば良いのか。当書では、そこを掘り下げて書いています。
そして当書では、それは、

「限界的練習」を積むことで「心的イメージ」の質を高めていくことに他ならない

と主張しています。
今後の記事で、そこの部分を書いていければと思います。
次の記事では、その「心的イメージ」について書いていきます。